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2013年8月 6日 (火)

其の26 堂々めぐりの身体、とまどう体~1





私たちが抱える困難は、
身体の問題であれ心の問題であれ
境遇であれ、そのいずれも
容易に抜け出されずに、逃れられない強迫性をもち、
どうにもならない無力感に塞がれたまま、
身体だけの問題に納まらず、
心のみの自己解決では容易でなく、
どうジタバタしても、まとわりつくように
絡み合った、おのおのの境界を越えた
連鎖の中にうずまってしまっている、、、。



たとえば、
新型うつと云うのは、
非常に捉えがたい病症である、、。

自分の興味や熱意が向くものなら
どんどん動けるけれども、
少しでも負荷がかかりそうなものについては
とたんに身体が動かず、気力も喪失する、、

これは病気なのか、、?
誰だって、気が向かない嫌なことに向かうのは
身体が重く、気持ちも先に動いてゆかない、、
それを、ただ、いやいや、と
スイッチを切ってしまうのは
ただの気まま、わがままの
怠け者なのではないか、、、
と、「普通」に生きている人々は思う。


心に負荷がかかりすぎれば
身体は変調を現わしはじめる、、
その変調を解くのは容易でなく、
一般的には対症的に、今、過敏で休められない身体や精神を
薬物療法でなだめるしか手を打てない、、。

得体のしれない新型うつも
同様の方法論しかもたないのである、、



体運動の構造の視点から、
このような身体を観れば
腰椎5番は弾力を失ない奥に引っ込み、
骨盤はガバッと開いて後屈している。

骨盤の後屈による負荷は腰椎4番を
硬直させ、限りなく5番側に下がってしまい
くっ付いて棒状を為している、、、
あれっ、、!?5番は?
となかなか当たらないが、ふにゃっと
まわりの筋や脂肪に隠れて、頼りなく
奥の方でちょろっとぶら下がっている、、、

場合によっては、
後屈の負荷を腰椎3番が耐えて、こらえて
捻れたまま可動性を失ないつつある身体もある、


問題はこのガバっと開いて後屈した骨盤が
ゆるゆるの大きめのおむつカバーを着けているような
この身体は、
まったく逡巡したまま、どこに向かうのか
どこに行きたいのか、決意できない体である点なのである。

もともと、腰椎5番の「引っ込み」は
4番の問題の肩代わりとも、元来が弱腰のくせに
4番の荷物を背負わんとしたがためでもあり、
4番が1番の叱咤か、3番の激励にも
耐えられなくなった時、
がくんと、ともに崩れ落ちてしまった結果である、、、


このような身体では、
まず動けない、、

いや動けないのでは、あるけれど
動こうと思えば動くことはできる、、
しかし、動かなきゃと思う観念が
身体に結びつかないのである、
自分の体なのに、、、。

このもどかしさは
腰椎5番の力が抜けてしまっていれば
当然感じられる頭と体の距離感である、、

5番が抜けた6種的傾向(体癖的分類)とは、
このようなもどかしさであり、
当人にとっては、
頭の中にできた庭を、思い通りに
しつらえることだけが、唯一
自分が生き、動いている感覚と
いえるのである、、。

当人は頭の中に作り上げた庭のガーデニングにしか
集注できないのであるから、
このもどかしさは、
周りの人間こそが感じる
もどかしさでもある、、

しかもここに、腰椎4番が連動して
骨盤が開いたまま固まってしまっていたなら、
きわめて自己中心的にしか
行動できないし、集中力が持続しない、、

この6種的な頭の庭の築造は
大変な熱中と収集力で
運営されてゆくのである、、、、


頭の中の世界って、、、
じゃあ、上下型(体癖的分類)の大脳昇華型と
どう違うの、、?と云うとことであるけれど、、、

上下型は、頭の中に庭は作らないのであり、
1種の頭の使い方は、
系譜的であり、道順を持った地図を
進んでゆくことであり、
2種の、それは
頭の中に蜘蛛の巣を張り巡らすかのような
使い方をして、
結局、自分がその網目に引っ掛かり捉われてしまうのである、、、

もちろん、
体の不調、違和感と云うものは
どんなに、頭の中で増幅して感じようが
明らかな痞えツカエとして、身体に刻印されている、、

筋肉や腱や筋膜やらの硬直や弛緩が生まれているし、
ごく小さな部分的な弾力の無さであっても
身体にとっては、不愉快で不都合な
全体のバランスを崩す可能性のある
修正すべき部位、ポイントとなるのであり、
これをかなり明確にはっきりと頭、意識に伝えるのである、、。

これらの「症状」は検査や投影画像などでは
捉えきれない、、
このような粗い観察では、その大まかなザル目からは
零れ落ちてしまうため、
いやあ、異常ありませんね、、様子を見ましょうか、、、
で、終わってしまうのである。

そして、このような
不愉快な感覚は、「ここっ!」と云う
特定部位が伝えられないもどかしさを持っている、、

だいたいこの辺が、何か詰まったような
苦しさ、、だるさ、、疼痛感、、がある、
と云うように、その部位を特定できないのである。

首周辺、頭の過敏傾向、肩あたりの上胸部などの
全体的な過緊張状態が続いている身体は
特に、部位的な鋭敏な感覚を
ウツロにさせる、、

身体気圧的に言えば、
いわゆる「気が上がったまま、固着している状態」だと
身体のあちこちの異常感は、
大まかな何か拡大された違和感としか
伝えられないもどかしいさがあるのである、、。

頭と身体が繋がらない、、

身体の動きが、頭からロックを掛けられている、、
この思うように動けない、もどかしさ、、
変わらない、じれったさ、、、

頭が体にロックをかけているというより、
頭の中のロックが、身体の連携にストップを
かけていると言えるだろうか、

頭の動きが
まるで、身体に波状的に
浸食しているかのような干渉が
身体のきわめてシステマティックな
調整機能を混乱させるのである、、。


頭の動きと、身体の統制的で機能的な単純化された
動きは、異質な特徴をそれぞれ備えている。
身体は、いくつもの危機管理的な複層的な
備えを段階的に用意してはいるが、基本は単純化された
5系統の動きに集約して運行している、、
頭は、何と云うか
縦横無尽と云うか、自由気ままと云うか
同時に複層が、並走して動くなどの
捉えがたい、予想のつかない動きを
常にしているため、これらは
首と胸によって、語法変換されて、
信号を行き交いさせる必要がある、、。

そのため、常に柔軟な
首と胸を保っている必要があるのである、、


この調和が崩れる、、、

ヒトと云うものは、
特殊な進化をしてきたけれど、
この点においても
他種にはまず見受けられない
このような混乱を、よく呈する生き物なのだ、、




この夏、
この頭と身体の不調和の
きわめて近似的な状態が
続いている、、

夏と云うのは
身体気圧的に云うと
気が上に上にと上昇し、
頭部にこもった気熱が
頭部から頭頂にもくもくと、
抜けてゆくのが、
理想的な運行なのだが、
これが、頭頂部からずれて
やや前部とか、左寄りだとか
右寄りだとか、後部にずれたりなどすると、
そのまま気熱がこもって、
頭や上胸部の過敏緊張傾向を生み出す、、

一過性のごく初期的な段階であれば、
不快さや違和感は、
この上胸部から頭にまつわる不快となって
感覚されるが、、
緊張状態が硬化して長引き、潜在化すると
胸の圧迫感や動悸や細動や
息苦しさ、めまい、頭重などの
範囲が広くポイント的でない帯域的な
不快感、異常感となってゆく、、、

このような状態に進行する前に
肋間筋や肋骨そのものの硬化が始まり、
片側が下がってきているのだが、、
当人はこの段階では、気付けない、、、、、




梅雨の始まりには、例年
皮膚の再活性化がすすめられる、、。


今季の梅雨明けは、ここ最近に珍しく
素直な幕開けだったように思う。

じとじとした空気感といきなりむくみ、ダルついた肌と
ちょっと動けば汗がダラつくといった
久しぶりの湿度感のある梅雨明けであった、、。


その後、今一つな展開で
じとじと感がいまいちだなと思っている間に
かっと、7月の初旬に俄かの熱風とともに
夏に突入してしまったが、、、、


皮膚はたるみ、むくみ、
感覚が鈍化する感じがあるけれど、
盛んに新陳代謝を繰り返し、
廃用と再生を準備する、、

真夏の排熱と発汗、
冬の寒さと乾きに耐えられる
皮膚をしつらえるのである、、。

手技を生業とする私たちなどは
この梅雨の時期に、手のひらの皮が
剥けはじめ、何倍もの鋭敏な
新しい皮膚をもらいうける、、、


皮膚が活性化し、再生を図るとは
頭部の過敏な傾向がしばらく続き、
また泌尿器系等の活発な活動を
指し示す、、。

梅雨が明ける頃、、
泌尿器系等の草臥れがピークとなって、
呼吸器の盛んな活動でこれを補い、
代謝運動の最も大きな振幅の時期を
乗り切ろうとする、、、


この夏の身体の
基本の構えとして
骨盤は、2月くらいから
徐々に段階的に開きはじめ
大きな関節である頭骨や肩甲骨も併せて
開方向に運行を進め、
皮膚は弛み、開いて、汗や分泌物や内外のガス交換も
盛んに行なわれてゆく、、、、



夏の皮膚の動きは、まさに
最前線であると同時に総司令部でもあり、、
八面六臂の活動を繰り広げる、、が、
泌尿器と呼吸器の感覚器としての
先鋒でもあった皮膚が、
今季のように、急激な高温と熱風にさらされ
ガバッと骨盤が開いてしまうと
にわかに鈍り、汗が痞え、塩を溜めていってしまう。

温度上昇で、気熱がますます
頭部に集まってくると、
総合的なバランス感覚で優れた
皮膚の思考頼みの頭は
鈍って感覚を欠いた皮膚への
過剰な信号を送り続け、
切ったり、ぶつけたり、湿疹を吹いたり
膿瘍の過度なエネルギー転換を図る、、。


この皮膚の感覚を失調するということは
実は、文字通り外的な刺激に対して、
鎧化して交渉を絶ってしまうということに
繋がってゆく。

自分の周りの環境との間に鉄門を下して、
コミュニケーションを取りたくなくなるのである、、。



身体は一挙に、堂々めぐりの状態となり
頭のロックがかかってくるのである、、、、




ヒト特有のこの頭の動きの浸食については
また、次回別の視点から
お話しを続けることにしたい、、、。






季よみ通信~白山サイド

















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