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2012年7月 9日 (月)

其の14 とっ散らかし、打ち捨てたくなる開の季節



夏の身体は、開いている。

骨盤が開き、皮膚が弛み、
外気温の高さに合わせ、
身体の内と外の水と空気のやり取りを
しやすくしている。

この通信の
あちこち、そこここで話題としていることでもある。



人の身体と感受性の捉えかたに
体癖と云う観方がある。

野口整体の眼目のひとつだ。

体癖の世界へのツアーも
また、大変な長旅で
容易でない難所の連続なので
一片ばかりの通信では
掃き残した毛ほども
伝えられないものなので、
やがて、覚悟を決めて
旅支度にかからねばならないけれど、
今回は、案内パンフを
ちらっと開くぐらいにとどめよう。



骨盤が開く。
体癖の中に、常に骨盤が開く方向に
動きが向かう体癖がある。

文字通りの開型と言う。

開型10種体癖とは、
動きの中心が骨盤にあり、
その動きが開く方向にあるのである。

開くとは、受容すると云うことだろうか、、、

開型の中には、
見た目にもふくよかで、開いた身体を
持った人が少なからず、居る。

鷹揚な感じを受けるし、
何だか面倒見もいいので
誰でも、迎え入れてくれるように
思える。

門戸はいつも開かれているので
誰でも行き来が自由だ。、、と、感じる。

無縁のものを受け入れてくれ
中に入れば、世の一切のしがらみや関係に
かかわりなく、自由に
素のままで振る舞える、
そんな世界に思える。



開のイメージは、そんな具合で、かつて
「母性」であったり、
「和」であったり、「円」であったりした。



けれど、開の夏は
無性にささくれた心を、もたらす。

こまごましたことや、
日常の繰り返しのちまちましたことが
面倒で放り出したくなるのである。


暑くて、ムシャクシャするんじゃないですか?
と云うひとがいる。

けれど、暑かろうが
ムシャクシャする理由にはならない。

かー、暑いねぇ!!
と言って、波に乗ったり
冷たい麦酒を飲み干すことを
楽しみとする空想を
抱ける人もいるのである。

彼らは、決して
じとじとして、まとわりつく砂や
生臭く蒸せ返る潮の風だまりのような
浜を思い浮かべないし、
冷たい飲み物の一気飲みで
肩甲骨の中ほどの背骨に
きぃーんと、痛覚が走る嫌悪感など
心の片隅にも空想しない。



夏の集注は、不可能の極みだ。
どんなに快適な室内においても、
細やかな持続性を持った集注は難しい。

心身を奮い立たせて、注意の密度を亢めて
臨めば、出来なくはないが
頭に尋常でない緊張を残す事となる。

夏の密度の狭い物事に対する集注は
脳への過剰な緊張を強いるのである。
開き弛んだ骨盤では、容易に引き締められないために
肩代わりして、とりあえず
フル稼働するためで、後々の大変な疲労を残す。


一年中、ムラの無い生産性を保つため
快適な環境と設備、一定で差のない空間と云うものを
現代の工業化社会は、膨大な電力を
消費しながら、実現してきた。

そこで表面上は、負荷のかからない労働環境で
年中変わりなく、どんなに細密な神経の負担の大きい
労働でも、気苦労と機転を常に必要とされる
サービス業においても、この国では
ロングバケーションを取ることもなく、
休みなく稼働し続けてきた。

しかし、夏には合わぬ仕事があるのである。
冬には適わぬ生活と云うものがあるのだ。



骨盤の開きすぎは、
集注密度を欠き、日常の決まりごとを
きちきちと務めることが、
無性に面倒になる。

普段、片づけに精を出して
スカッとさわやかな笑顔を浮かべる人も
まったく根気が出てこない、
DMやメモも必ず、細かく割いて捨てていたのが
そのままゴミ箱に放り込みたくなる、
帰宅して、所定の位置にしまわれる鞄も
ドサンと部屋の真ん中に
無造作に投げられる、、、

これ以上ないくらい
だらしなく過ごしたくなるのである。


しかし、このような身体の要求に対し
現れる行動は、2パターンある。

豹変したかのように
要求にそってグシャグシャな生活を
するものと、
抗って、脳活動を刺激し、猛回転させて
このような、けしからん無放縦さを
徹底的に排除し、秩序を取り戻そうと
する行動である。



開型10種は、
誰かれなく迎え入れ、包み込むとき
受け入れられようとするものに、
無放縦に解放させる
不可思議な重力を強いてくる。

開型に中心点を持った
ランダムで自由自在な運動を
許容しつつ、、、、。


90年代後半を過ぎて、
2000年代に入り、
世の中に開型ではないのに
骨盤が、開き気味の
疑似開型っぽい人々が
増えてきた。

その人にしては、
妙に開いている、と云う身体である。

このような身体を
「こぶり10種」と名付けてみたが、
「こぶり10種」には、真正と
擬正の二種あり、
本来の開型でない
時代的な疑似開傾向は、
擬正こぶり10種である。

擬正こぶり10種は、
包容的でないのに
無造作で無関心であり、
妙にとがった情報力を持った
脳活動をみせ、
しかし、大勢に従順なのである。



女性が、生理前
骨盤が開きはじめる頃に
にわかに、パートナーである
異性をわずらわしく感じ、
その一挙一動に腹立たしくなるのは、
この世界に対となるべき
一種類しかいない
対象的な人間の、
合目的な行動パターンや
無駄をしない合理的な思考方向に
我慢がならなくなるからであり、
開型の身体の要求を
抑えきれなくなるためである。

どんなに好意をもっていようが、
一番身近にいて欲しいと
常に思っていても、
最高に嫌気がさしてしまうのである。




夏の午後、
人は昼寝をする。

あるいは、夕方
ほてった身体と頭を
休めるように
底なしの休息を
一時、取るのである。

夜半の眠りより、
よほど深く、よほど安らかに
眠りに落ちる、、、、。


夏には、このような
休息が適っており、
必要だ。



けだるさを残した夕刻に
ほんの一時だけ訪れる
内省の時間、、、
やっと自分の領域に戻ったような
心を取り戻したような
穏やかな時間だ。



夏には、
バーバーやマーラーの歌曲が合う。

ノックスヴィル、
バーバーの「ノックスヴィル 1915年の夏」、、、

ベタベタと額や頬に張りついた前髪が、
まだ暮れ残る日差しの中を
くぐり抜け、吹き抜けて来る風に
さわさわと乾かされる
休息の一時、、、。

この一ぷくの涼風のような音楽に吹かれながら
ぼんやりと仄暗い中に沈み込むように眠るとしよう、、。

洞のようにポカンと口を開けながら、、、、、。







 季よみ通信 ~白山サイド



















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